300話以上「こっちむいて!みい子」を描かれていて、思い出に濃く残っている話やシーンはありますか?
たくさんあるんですけど、ひとつは東日本大震災後に福島から来た転校生をテーマにした話(コミックス25巻収録「ハルナの宇宙基地」)。
2012年の1月に福島へ取材に行って何組かの親子さんに話を聞かせていただいたことはとても濃く残っています。
最近ではLGBTをテーマにした話(コミックス35巻収録「なつきという子」)も貴重な出会いと気づきをいただき、描きがいがありました。
あとは…そうそう、性教育の話(コミックス14巻収録「いつかはあたしも…?」他)です。当時は「小学生が読むまんがにSEXのことを描くなんて」とか「子どもに聞かれたらなんて答えればいいんですか」など、編集部に毎日抗議の電話が来たそうですが、海外には子どもが正しく知識を身に着けるための性教育本がたくさんあるので、私は日本のまんがでも描きたかったんです。実はこの話は、単行本になるタイミングで3ページ描き足してあるんです。
あとは「いわせてよ竜平くん!」(コミックス9巻収録)でしょうか。当時の担当さんに「シーンを意識しろ!」と言われて描き上げたコマがあって、気に入っているので印象に残っています。
当時の担当さんに「シーンを意識して」と言われて、先生が描いたコマがこちら。
「こっちむいて!みい子」では歴代トップの超胸キュンシーン。
あとはやはり小学校卒業と中学入学(コミックス34巻収録「さよなら杉の木小学校」)ですね。あの頃、中学生編を決意するまでは描くことがつらくて、正直みい子を終わろうと思っていました。
なので、かなり不安もありましたが、読者の方がたもみい子たちの卒業と入学を一緒にお祝いしてくださったので、本当にうれしかったです。
卒業式でのみい子と竜平。(左)
中学生になっても変わらないみい子たちの姿につい笑顔になっちゃいます。(右)
「こっちむいて!みい子」を描くときに意識していることはありますか?
思いやりを忘れない、下ネタはしない、そして描いている自分が落ち込み過ぎないことでしょうか。ネームができなくて暗い気持ちになりかけても「絶対大丈夫、絶対できる」と自分に強く言い聞かせています。
一話完結の話が多いので、気持ちを引きずらないで読み終えるられることも意識していますね。「こっちむいて!みい子」は、ちゃおっ娘が安心して読めるものでありたいなと強く思います。
お話は毎回どうやって考えているんですか?
担当さんと打ち合わせをするところから全てが始まります。編集さんの中には雑談で終わる人、細かく作り込む人、話を数パターン考えて書き出して持ってきてくれた人、いろんな方がいました。
歴代の編集さん達には恵まれています。話を作るうえで大事だなと思うことは、インプットをし続けることです。新聞や本を読んだり、映画を観ることもそう。今は難しいですが外へ出て友達と会うことも大事にしています。自分の中に何かしら入れ続けていたら回りまわって、まんがのきっかけになる、ちょっとした切り口に気付くことってあるんじゃないかと思うんです。
みい子、まりちゃん、ユッコ、3人組にした理由はありますか?
子どもの頃「魔法使いサリー」が大好きだったんです。サリーちゃんは、よっちゃん(三つ子の弟の面倒を見る。男勝りキャラの花村よし子ちゃん)とすみれちゃん(おっとりしていておしとやかキャラ。
動物が好きな春日野すみれちゃん)のふたりと仲良しでいつも一緒にいるんです。そんな彼女たちが「こっちむいて!みい子」の原型に大きく影響していると思います。
おの先生の学生時代についてきいたよ☆
おの先生はどんな学生だったんですか?
小中学生の時はおとなしい生徒でした。小学一年生の11月頃に転校したのですが、学期の途中だし、その頃って大きな行事が終わっているでしょう? なのでクラスになじむことが大変でした。
でもね、そのかわり高校は公立でとても自由な環境で楽しかったです。みい子たちのクラス雰囲気は、その当時の雰囲気なのです。
小学生の頃からまんがを描かれていたのでしょうか?
小学校3年生くらいから描いていました。こうやって(手元にあった無地のノートを横向きにして1ページを四分割に割る)コマを四つ作って思いつくままどんどん描いていくんです。
描き終わるとホチキスとノリでくっつけて、クラス中が回し読みしてくれて。うれしかったなぁ…。絵を描いて白い紙が埋まっていくのは今も昔も好きです。
はじめて少女まんがを読んだのはいつですか?
小学校の頃通っていたピアノ教室の待合スペースに置かれていたまんがを読むのがとても楽しかったんです。中でもお気に入りは灘しげみ先生のスポーツまんが。
レッスンが終わった後も読み続けていたので先生に「まだ帰ってなかったの?」なんて言われていました(笑)。家では本を読むことの方が多かったので、まんがとの出会いは意外にもピアノ教室でした。
はじめて少女まんがを読んだのはいつですか?
児童文学作家の松谷みよこ子先生が書かれた「ちいさいモモちゃん」・「モモちゃんとプー」です。当時(1970年代)の設定としてはすごく珍しくて、モモちゃんのお母さんは外で働いているんです。
「ちいさいモモちゃん」は好きすぎて文章を書き写していたくらい! 松谷先生の作品は「ふたりのイーダ」もよく読みました。
「ボロボロでしょう」と、言いながら本を持ってきてくれた先生。
たくさん読み込まれたことがひと目でわかる、ぬくもりであふれていました。
「こっちむいて!みい子」のこれから―――
おの先生にとって〝みい子〟はどんな存在ですか?
「3人目の子どもです」ってお話していたときもあるんですけど、そうですね…。
子どもでもあり、大切な相棒です。それと可能性――。
「ハルナの宇宙基地」を描こうと思ったときも当時の編集さんや編集長さんが「いいですねやりましょう!! みい子でしかできませんよ!!」と言ってくれたんです。これまでもみい子を通すことで難しい話もなんとか描くことができました。
いつか描きたいと思っている「こっちむいて!みい子」の話はありますか?
まりちゃんの恋のお話はいつか描きたいなと思っています。ほかにもいろいろあるけど・・・ヒミツ。
子どもむけのギャグまんがを描きたいと思っているちゃおっ娘へアドバイスがあれば教えてください。
とにかく明るく描いてほしいです。話はもちろんですが、見た目も大切。みい子なんて今では二頭身です!
連載当初はもう少し背が高かったんですが編集部から「もっと小さく!」「もっと元気に!」など、たくさんの指導を受けました。同じ雑誌(「ぴょんぴょん」)に載っていたたちいりハルコ先生の「パンク♥ポンク」や「おじゃマクラ」が大好きで、何度も読んで、圧倒的なテンポや元気のよさを勉強しました。たちいり先生にはパーティで思い切ってごあいさつして、無理やりお友達になっていただきました!
「こっちむいて!みい子」のいちばんの読者、おの先生のお子さんたちも「パンク♥ポンク」の大ファン。
少女まんがだけでなく、小学館の学習誌にも長年掲載されていた作品なんです。
最後に、読者の方々にメッセージをお願いします。
いつも「こっちむいて!みい子」を読んでくれてありがとうございます。みんなが読んでくれるから、こうして描き続けることができています。
まんが家としての居場所を探していた20代の頃…、すごく辛かったので、こうして依頼をされて描いたものが出版されて、書店さんに並び、みなさんからお手紙やSNSを通じて感想を聞かせてもらえて…。まんが家としてこんな幸せなことはありません!
5月5日生まれ おうし座
◆1990年 ぴょんぴょん10月号にて
「元気爆発ギャグKID みい子で~す!」連載スタート
◆1992年 ちゃお にお引っ越し…◎
◆1995年 「おさわがせKIDS白書 こっちむいて!みい子」連載リニューアルスタート
☆おのえりこ先生Twitter @marimiiko